伊藤智子


伊藤智子

伊藤智子(いとうとしこ 本名:田村智子 1895年4月1日生)
 [女優]


 参謀次長をつとめた田村怡与造中将の三女として、東京に生まれる。跡見女学校卒業。1913年、陸軍中尉本間雅晴(後中将、バターン死の行進の責任を問われ戦後処刑された)と結婚。夫のロンドン駐在中、小山内薫に望まれ『タンタジールの死』で初舞台。派手な生活のため夫と反りが会わず、1921年に離婚してからは自由奔放な生活を送り、多くの男と浮名を流すなど周囲から顰蹙を買う行動が目に余った。海外駐在中に破局を知った本間は失意のあまり窓から飛び降りようとしたが、陸軍大将の今村均に止められている。

 1927年、村山知義の心座に参加、新橋演舞場『子供達の悲劇』、1928年、築地小劇場『第一の声』『魑魅』で市川団次郎らと共演。1933年、花柳章太郎らの新劇座、村山の新協劇団などに参加、『復活』『椿姫』に出演。その間、舞台美術家の伊藤熹朔と結婚(数年で離婚)し、1935年からP.C.L.映画製作所と専属契約を結び、映画界へ。成瀬巳喜男監督の傑作『妻よ薔薇のやうに』に好演し、女優としての地位を確立した。

 P.C.L.が東宝になり1938年、『将軍の孫』『新篇 丹下左膳 妖刀篇』などに助演。戦後はNHK『向う三軒両隣り』の山田おばあちゃん役などで知られたが、78歳のときに家財道具を売り払って枕元に葬儀費用を残し、睡眠薬で自らの命をたった。

 1974年1月17日死去(享年78)


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