仲谷義明


仲谷義明

仲谷義明(なかやよしあき 1925年10月27日生)
 [政治家]


 愛知県出身。愛知県立明倫中学校、第四高等学校を経て、東京大学卒業後、1948年に自治省に入省。岐阜県庶務課長、知事公室次長などを経て、1960年、愛知県庁へ。以後、同県の水道部長、労働部長、教育長、副知事を歴任する。教育長在任中には学校群制度を定め、管理教育を推し進めるが、1974年以降の新設校の学校群への組み込みは頓挫し、各校で単独選別を実施した。学校群制度推進の当事者でありながら、自らの子弟の学校群受験を回避、私立進学校に進学させたことは、当時物議を醸した。

 1975年2月に愛知県知事選に出馬し、当選を果たす。1977年8月に名古屋オリンピック誘致計画を提言し、中央政府の了承を得て強く押し進める。反対派の強い抗議に遭いながらも、誘致計画は順調に進んでおり、賛成派の熱狂も重なって誘致は成功するかに見えたが、ロビー活動の不備などが重なって1981年のIOC総会の投票ではライバルの韓国ソウルがオリンピック誘致を決めた。招致は絶対成功すると見込んでいた地元マスコミは報道特別番組まで編成、CBCは中日ドラゴンズの応援番組の『ドラゴンズアワー』に野球とは関係のないオリンピックコーナーを設け、中京テレビも朝の番組でオリンピック関係のレポートをするコーナーを入れて、開催地決定に向けてムードを煽っていたものの、9月30日深夜の開催都市決定の瞬間、スタジオはしんと静まりかえった。これを受けて地元の民放局の4局が生放送番組を編成し、中でもCBCは3時間の特番を組んでおり、深夜0時35分から高坂正堯らを出演の「いま決まる!'88オリンピック」を組んでいたが放送時間を30分に短縮した。東海テレビも翌日の10月1日には名古屋決定の前提で、坂本九、水沢アキ、渡部絵美を総合司会に、金メダリストや一般市民を迎える計7時間のスペシャル番組「さあ!決定!名古屋オリンピック」を組んでいたが、番組変更してさらに10月1日の深夜0時35分から「まぼろしの88名古屋五輪」を放送した。NHK総合テレビは20時から「オリンピック招致運動は何を残したか」という50分番組を放送、CBCは事前に予定していた番組を全て中止して、元のレギュラー番組を流した。それほど当時の名古屋市民は地元マスコミと地元経済界の情報操作によって名古屋開催を確実視していたとされる。

 各所では招致成功を祈るイベントも進められ、「名古屋オリンピック音頭」(歌:川崎英世・小林真由美)、「名古屋オリンピックの歌」(歌:チェリッシュ)も作られていた。名古屋市交通局は優勢であることを理由に投票前にオリンピック記念乗車券を制作していたが販売は中止された。しかしこの幻の記念乗車券の存在がマスコミで報道されると購入希望の問い合わせが相次いだため、臨時普通乗車券として抽選販売された。開催地決定の日には、役所やデパートでは名古屋決定の垂れ幕が準備されていたが、結局無駄になってしまった。

 その後も仲谷は知事の職を務め上げ、次の知事選(1983年実施)には不出馬。知事退任後はナゴヤ球場社長や愛知医科大学理事長などを務めていたが、ソウルオリンピックも終わった1988年11月18日、名古屋市中区にある自身の事務所で首吊り自殺しているのが発見された。一部から「ソウルオリンピックを見届け、名古屋オリンピック誘致失敗の責任をとって自殺した」との推測もあったが、自殺の原因は未だに謎である。

 1988年11月18日死去(享年63)


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