スコット・ロス


スコット・ロス

スコット・ストーンブレーカー・ロス(Scott Stonebreaker Ross 1951年3月1日生)
 [アメリカ・チェンバロ奏者]


 ピッツバーグ生まれ。定期刊行紙の出版者であり記者であった父親は、ロスが5歳のときに他界。2歳の時にみつかった脊柱側湾症の矯正治療のため、幼い頃はコルセットの着用を強いられた。6歳でピアノを習い始める。12歳のときにオルガンを習い始める。1964年に渡仏し、母親や兄と離れてニース音楽院に学ぶ。オルガンはルネ・サオルジャン、チェンバロはユゲット・グレミー=ショーリアックに師事した。グレミー=ショーリアックは時にロスの母親代わりを務め、音楽的にも大きな影響を与えたと言う。1969年、パリ国立高等音楽・舞踊学校に学ぶ。1970年、母親を自殺によって失う。

 1971年に2度目の挑戦でブルッヘ国際チェンバロコンクールに優勝する。このとき長髪にジーンズの異例の風体で会場に登場し、暗譜で弾いたこともチェンバロ演奏における慣例に反していたことから聴衆をたいへん驚かせた。彼がバッハの平均律第2巻の嬰ヘ長調の前奏曲とフーガを弾いたのを聴き、審査員の一人は「まるで自分で作曲したかのようだ」と感想を漏らしたという。同じ年に、バッハの作品で初録音を行っている。

 1973年からケネス・ギルバートの後任として、カナダのケベック市にあるラヴァル大学音楽科の教員を12年間に渡って務めた。1980年代中頃からは活動の中心をフランスに移した。1985年には、ドメニコ・スカルラッティの生誕300周年を記念して企画された、555曲からなる鍵盤楽器のためのソナタ全集の世界初録音、をCD34枚組で達成。1984年6月16日に録音を開始し、1985年9月10日に終了した。スカルラッティの全集に挑んでリタイヤした者も少なくなかった当時、完結させたばかりではなく、個々の完成度の奇跡的な高さを含め偉業と称えられた。一日に2〜3曲のペースで録音したといい、多くの曲は初めて弾くものであったため狂人のように勉強しなければならなかったというが、その演奏の完成度はきわめて高い。他にもラモーとF.クープランのクラブサン作品全集、F.クープランのオルガン作品全集を完成させている。バッハの全集も構想した時期があるが、エイズに罹患しており病気の進行には勝てず遂に実現しなかった。

 数々の優れた録音を残していたが、1989年、38歳の若さで、エイズ関連疾患のため、フランス南部モンペリエ近郊アサスにて他界した。

 1989年6月13日死去(享年38)


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