エステバン・デ・ヘスス


エステバン・デ・ヘスス

エステバン・デ・ヘスス(Esteban De Jesus 1951年8月2日生)
 [プエルトリコ・プロボクサー]


 世界3階級王者ウィルフレド・ベニテスのジムメイトであり、ベニテスの父親にトレーニングを受けた。1969年2月10日、17歳でプロデビューし、1971年7月24日、20戦目でプエルトリコライト級王座を獲得した。1971年12月10日、26戦目でアントニオ・ゴメスと対戦し、10回判定負けでプロ初黒星となった。1972年11月17日、WBA世界ライト級王者ロベルト・デュランとノンタイトルマッチで対戦。初回に左フックでダウンを奪うなど優勢に試合を進め、10回判定勝ち。デュランは34戦目にしてキャリア初黒星となった。1973年2月16日、NABF北米ライト級王座を獲得した。1974年3月16日、WBA世界ライト級王者ロベルト・デュランとタイトルマッチで再戦し、11回KO負けで世界王座獲得ならず、翌1975年5月17日、WBA世界ジュニアウェルター級王者アントニオ・セルバンテスに挑戦し、15回判定負けで2度目の世界王座挑戦も実らなかった。

 1976年5月8日、WBC世界ライト級王者ガッツ石松に挑戦し、15回判定勝ちで世界王座を獲得した。この試合、経済的に後進国だったプエルトリコが、当時としては異例の20万ドルをガッツのファイトマネーに用意した。プエルトリコの英雄ヘススへの期待とガッツの知名度、人気の高さも関係していた。1977年2月12日、バズソー山辺と対戦し、6回KO勝ちで2度目の防衛に成功した。6月24日、ビセンテ・サルジバルと対戦し、11回KO勝ちで3度目の防衛に成功した。1978年1月21日、WBA世界ライト級王者ロベルト・デュランとWBC&WBAの王座統一戦を行い、12回KO負けでWBC王座4度目の防衛に失敗した。1980年7月7日、WBC世界ジュニアウェルター級王者ソウル・マンビーに挑戦し、13回TKO負けで王座獲得ならず、この試合が最後の試合となった。

 1980年の感謝祭の日にプエルトリコでコカインを摂取後、交通トラブルとなった17歳の少年を撃ち殺し、殺人罪で終身刑を宣告される。1984年に刑務所内でキリスト教徒になる。1985年、麻薬で注射針を共有したことのある人物がAIDSで死亡したことを知り、ヘススが検査を受けると末期のAIDSであることが判明する。その後、恩赦を受け自宅に戻ると、ライバルであったロベルト・デュラン、チェオ・フェリシアーノ、オーランド・セペダなどの有名人がヘススの元に訪れた。恩赦を受けた1ヶ月後の1989年5月12日死去した。

 1989年5月12日死去(享年37)


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