ジノ・ヘルナンデス


ジノ・ヘルナンデス

ジノ・ヘルナンデス(Gino Hernandez 本名:チャールズ・ウォルフ 1957年8月14日生)
 [アメリカ・プロレスラー]


 テキサス州ハイランド・パーク出身。亡父ルイス・ヘルナンデスの従兄弟でもあるメキシコ系アメリカ人のスター、ホセ・ロザリオのトレーニングを受け、テキサスのサンアントニオ地区にて1975年にデビュー。その後、ベビーフェイスの新鋭としてザ・シークが牛耳るデトロイト地区で修業を積み、1977年1月にはブルドッグ・ドン・ケントを破りNWAUSヘビー級王座を獲得した。1977年の下期よりテキサスに戻り、フリッツ・フォン・エリックが主宰するダラスのNWAビッグ・タイム・レスリングを主戦場とする。翌1978年3月、全日本プロレス『エキサイト・シリーズ』に初来日。以降は"ゴージャス・ジノ" を名乗り、フレアー・タイプの色悪系ヒールに転向。ダラスには1980年まで定着した。

 1981年からは古巣サンアントニオのSCWに復帰。団体のプロモーターであるジョー・ブランチャードの息子タリー・ブランチャードとダイナミック・デュオを結成。プロレス界でも屈指のハンサム・ガイでありながら、持ち前の向こうっ気の強さを活かし、若手の不良系コンビとして活躍、1983年までサウスウエスト・タッグ王座を通算5回獲得した。

 1984年にブランチャードとのタッグを解消し、再びダラスのWCCWに参戦。同年6月23日、手本としていたリック・フレアーをトーナメントの決勝で下しテキサス・ヘビー級王座に返り咲く。1985年からは"ジェントルマン" クリス・アダムスを新パートナーにダイナミック・デュオを再編。NWAアメリカン・タッグ王座を巡るフォン・エリック兄弟との抗争劇は、WCCWのドル箱カードとなった。

 1986年、当時WCCWと提携を結んでいた新日本プロレスへの来日が決定。アダムスとのコンビで2月28日開幕のシリーズへの参加が発表されたが、来日を目前に控えた2月4日、ハイランド・パークの自宅で死亡しているところを発見される。検死の結果、死亡日は1月30日、死因はコカインの過剰摂取と判明した。あまりにも突然の死のため自殺説や他殺説も囁かれたが、いずれも推測の域を出ていない。

 1986年1月30日死去(享年28)


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