ヒレル・スロヴァク


ヒレル・スロヴァク

ヒレル・スロヴァク(Hillel Slovak 1962年4月13日生)
 [イスラエル・ギタリスト]


 イスラエルのハイファで、スロバキア出身の父とポーランド出身の母との間に生まれる。幼少時代に、家族とともにアメリカ・ニューヨークのクイーンズ区に移住。高校時代に、アンソニー・キーディス、フリーとともにレッド・ホット・チリ・ペッパーズの前身となるバンドを結成。当初は、別の友人が結成したバンド、What Is Thisとの掛け持ちしていたため、ファースト・アルバムには参加できなかったが、やがて方向性の違いから、レッド・ホット・チリ・ペッパーズに転身。セカンド・アルバム「フリーキー・スタイリー」よりレコーディングに参加した。アンソニー、フリーの無二の親友であり、いじめられっ子で暗い性格だったフリーにロックラジオのチャンネルを紹介し、ベースを基礎から教え、ロック・ミュージックに引き込んだ。また、後にバンド・メンバーとなるジョン・フルシアンテが、少年時代に敬愛していたギタリストの一人だった。

 サード・アルバム発表後の1988年、突然レコーディングやライブに参加しなくなり、自宅にこもりがちになった。メンバーがいくら連絡しても返事が来ず、そのうち本人からの連絡もなくなった。その後、6月27日頃に、不審に思った近くの住民から通報を受けた警察官が、ハリウッドの自宅を捜査し、部屋で死亡しているところを発見された。その後の司法解剖により、死因がヘロインの過剰使用による薬物中毒で、少なくとも2日前に死亡していると判明する。26歳の若さであった。

 それまではアンソニーもヘロイン中毒に陥っていたが、この出来事をきっかけに薬物から足を洗っている。一方、彼と仲の良かったドラマーのジャック・アイアンズは、この一件をきっかけにバンドで活動する意欲を失い、最終的にはバンドを離脱した(後に、パール・ジャムに1999年まで在籍。後に別のバンドに参加するも、メンバーの死により活動停止。現在はソロで活動)。

 2012年に、レッチリがロックの殿堂入りを果たした際の授賞式で、アンソニーは次のように語っている。
「もちろん俺が彼を代弁をすることなんてできないけど、でも、彼は音楽を心の底から大切に思っていたし、バンドという兄弟愛や、クリエイティブであることも大事に思っていたから、(今回の受賞は)彼にとっても絶対に意味のあることだったと思うよ。それに、彼の存在は今までも、これからもずっと俺たちのバンドの一部ではあり続けることは変わらないからね。でも、(彼が今もいたら)何より、俺たちがパンツにクソをもらすまで笑わせてくれていたと思うんだ。」

 1988年6月25日死去(享年26)


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